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茶髪の男が足早にバスを降りた。後部座席のスキンヘッドに向かって、鼻を鳴らしたように見えた。
挑発的とまではいかないまでも、スキンヘッドが見たらまた小競り合いになると私は思った。
私はスキンヘッドのカップルに続いて降りた。
運転席と添乗員が座る補助席の間のダッシュボードに、緑地に白文字のネームプレートがくっきりと浮かんでいた。
――運転手 倉地二三男。
車外に出たスキー客はほぼ全員、一列になってサービスエリアのトイレに向かった。
私の三メートル前方、スキンヘッドのカップルが歩いている。
「あの野郎、ぶちのめしてやる」
厳つい歩き方をしながらスキンヘッドが虚勢を張った。
「やめてよ、こんなところで」
「こんなところも、そんなところもあるか」
「ここで喧嘩したら、私、帰るからね」
「好きにしろ」
私はカップルに目を遣りながら、後方から近づいてくる社長一行に耳を傾けた。
「社長。こいつ、COOに昇格させて下さい」
「最高執行責任者のポストは、まだ早いだろう」
「チーフ・オペレーティング・オフィーサーじゃなくて、チーフ・オシッコ・オフィーサー、最高オシッコ責任者ですよ。こいつトイレが近いんです」
社長の頬に苦笑がよぎった。
一行はそのままトイレに入った。
私自身商社を辞めて早六年になるが、今でも昇進の言葉に敏感に反応した。組織の一員で働いていた頃が懐かしい。
運転手はバスから降りると携帯を取り出し、道路わきのあずまやで誰かと話しをし始めた。
再度のトラブルを恐れたキツネ目の女はサービスエリアの男子トイレの前まで来て、スキンヘッドに念を押した。
「いい? 揉め事はイヤよ!」
「カリカリすんな」
「カリカリさせてんのは、アンタでしょ!」
冷たい風が二人の間を吹きぬけた。
先に用を足した茶髪の男がトイレから出てきた。
面を切る茶髪。スキンヘッドが鬼のような顔で応酬する。
「何だ、そのツラは。オレにケンカ売るのか?」
「黙っとれ、ワレ!」
茶髪がドスの効いた声で応酬した。
スキンヘッドが素早く茶髪の胸倉を掴んだ。
全く強張らない茶髪の顔に、スキンヘッドは一層苛立ちを覚えた。
我慢の限界である。
スキンヘッドの右手が力強い拳を作った。
その瞬間――。
「警察を呼んで!」
キツネ目の女が売店に向かって走り出した。
「ほら、どうする、坊ちゃん。――どーなんだよ!」
スキンヘッドの頬がピクピクと痙攣している。
茶髪もスキンヘッドも背丈は170センチ強とほぼ同じ。厳つさではスキンヘッドが勝っていたが、茶髪は喧嘩慣れしているのか、いやに落ち着いている。
「この野郎!」
「止めとけ、オレには勝てねぇよ」
売店前でキツネ目の女が立ち止まった。
「もう、勝手にしたら!」
胸倉を掴んだスキンヘッドの左手から、急に力が抜けて行った。
「彼女の方が、よっぽど大人だぜ」
「ちぇっ、弱虫野郎の言うセリフだ」
気まずさを取り繕うように、スキンヘッドが自分の腕を払った。
「勝てる喧嘩は、することないか」
スキンヘッドは捨て台詞を言ってトイレに入った。
トイレから出ると、雪のつぶてが正面から襲ってきた。
体感温度が一気に下がり、先程の重役連中が足早にバスに戻る。
社長本人はサービスエリア内の休憩室に向かい、私も後を追った。
社長は自らストーブの上の薬缶を取り上げ、備え付けのプラスチック製の湯飲み茶碗に熱いお茶を注いだ。私はテーブルを挟んで斜交いに座り言葉を待った。
二度お茶を啜った社長が、掛け時計を見ながら呟いた。
「どうだった?」
私は上目遣いで答えた。
「怪しいメモがありました」
「それで?」
「バスごとやっちまうようだ」
背中の中心を冷気が吹き上がったように、社長の身体がビクッとした。
「じゃぁ、奴を捕まえろ」
「まだ早い。ゲロを吐かせないと」
バスの出発まで五分と迫っている。
「みんな死んじまうぞ。――警察に電話する」
「状況証拠も無い状態で、笑い者になるだけだ。あと二時間は大丈夫。奴の狙いは――」
核心に迫ったところで、重役の声が二人の会話を遮った。
「社長。乗り遅れますよ!」
怪しんでいる様子はない。
「おう。もうそんな時間か」
「こんな安もんのお茶、社長が飲むもんじゃないですよ」
男は湯飲み茶碗を片付け、社長の背中を押した。
私は声に出来ないメッセージを、社長の背中にぶつけた。
――油断と慢心が事故の元になる、と。
(つづく)
茶髪の男が足早にバスを降りた。後部座席のスキンヘッドに向かって、鼻を鳴らしたように見えた。
挑発的とまではいかないまでも、スキンヘッドが見たらまた小競り合いになると私は思った。
私はスキンヘッドのカップルに続いて降りた。
運転席と添乗員が座る補助席の間のダッシュボードに、緑地に白文字のネームプレートがくっきりと浮かんでいた。
――運転手 倉地二三男。
車外に出たスキー客はほぼ全員、一列になってサービスエリアのトイレに向かった。
私の三メートル前方、スキンヘッドのカップルが歩いている。
「あの野郎、ぶちのめしてやる」
厳つい歩き方をしながらスキンヘッドが虚勢を張った。
「やめてよ、こんなところで」
「こんなところも、そんなところもあるか」
「ここで喧嘩したら、私、帰るからね」
「好きにしろ」
私はカップルに目を遣りながら、後方から近づいてくる社長一行に耳を傾けた。
「社長。こいつ、COOに昇格させて下さい」
「最高執行責任者のポストは、まだ早いだろう」
「チーフ・オペレーティング・オフィーサーじゃなくて、チーフ・オシッコ・オフィーサー、最高オシッコ責任者ですよ。こいつトイレが近いんです」
社長の頬に苦笑がよぎった。
一行はそのままトイレに入った。
私自身商社を辞めて早六年になるが、今でも昇進の言葉に敏感に反応した。組織の一員で働いていた頃が懐かしい。
運転手はバスから降りると携帯を取り出し、道路わきのあずまやで誰かと話しをし始めた。
再度のトラブルを恐れたキツネ目の女はサービスエリアの男子トイレの前まで来て、スキンヘッドに念を押した。
「いい? 揉め事はイヤよ!」
「カリカリすんな」
「カリカリさせてんのは、アンタでしょ!」
冷たい風が二人の間を吹きぬけた。
先に用を足した茶髪の男がトイレから出てきた。
面を切る茶髪。スキンヘッドが鬼のような顔で応酬する。
「何だ、そのツラは。オレにケンカ売るのか?」
「黙っとれ、ワレ!」
茶髪がドスの効いた声で応酬した。
スキンヘッドが素早く茶髪の胸倉を掴んだ。
全く強張らない茶髪の顔に、スキンヘッドは一層苛立ちを覚えた。
我慢の限界である。
スキンヘッドの右手が力強い拳を作った。
その瞬間――。
「警察を呼んで!」
キツネ目の女が売店に向かって走り出した。
「ほら、どうする、坊ちゃん。――どーなんだよ!」
スキンヘッドの頬がピクピクと痙攣している。
茶髪もスキンヘッドも背丈は170センチ強とほぼ同じ。厳つさではスキンヘッドが勝っていたが、茶髪は喧嘩慣れしているのか、いやに落ち着いている。
「この野郎!」
「止めとけ、オレには勝てねぇよ」
売店前でキツネ目の女が立ち止まった。
「もう、勝手にしたら!」
胸倉を掴んだスキンヘッドの左手から、急に力が抜けて行った。
「彼女の方が、よっぽど大人だぜ」
「ちぇっ、弱虫野郎の言うセリフだ」
気まずさを取り繕うように、スキンヘッドが自分の腕を払った。
「勝てる喧嘩は、することないか」
スキンヘッドは捨て台詞を言ってトイレに入った。
トイレから出ると、雪のつぶてが正面から襲ってきた。
体感温度が一気に下がり、先程の重役連中が足早にバスに戻る。
社長本人はサービスエリア内の休憩室に向かい、私も後を追った。
社長は自らストーブの上の薬缶を取り上げ、備え付けのプラスチック製の湯飲み茶碗に熱いお茶を注いだ。私はテーブルを挟んで斜交いに座り言葉を待った。
二度お茶を啜った社長が、掛け時計を見ながら呟いた。
「どうだった?」
私は上目遣いで答えた。
「怪しいメモがありました」
「それで?」
「バスごとやっちまうようだ」
背中の中心を冷気が吹き上がったように、社長の身体がビクッとした。
「じゃぁ、奴を捕まえろ」
「まだ早い。ゲロを吐かせないと」
バスの出発まで五分と迫っている。
「みんな死んじまうぞ。――警察に電話する」
「状況証拠も無い状態で、笑い者になるだけだ。あと二時間は大丈夫。奴の狙いは――」
核心に迫ったところで、重役の声が二人の会話を遮った。
「社長。乗り遅れますよ!」
怪しんでいる様子はない。
「おう。もうそんな時間か」
「こんな安もんのお茶、社長が飲むもんじゃないですよ」
男は湯飲み茶碗を片付け、社長の背中を押した。
私は声に出来ないメッセージを、社長の背中にぶつけた。
――油断と慢心が事故の元になる、と。
(つづく)

