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運転手がジロッと私を見た。
一月十六日、水曜日。新大阪駅南側大型駐車場。腕時計は21時50分を少し回っている。
バスの出発まで三十分以上もあったが、添乗員の許可が下りたので真っ先に乗り込んだ。
私のような気の早い乗客は、気に入らないのだろう。長距離運転前の寛ぎのひと時を邪魔された運転手の眉間に皺がよった。
乗車と共にポマードの匂いがツンと鼻につく。私とは20以上の年齢差があるようだ。
私は無印のグリーンキャップを深々と被り、後ろから四列目、正面から見て右側に座った。予約では通路側の席になっている。
一人旅か、って? まあ、そんなところだ。――今はそれぐらいにして話を続けさせて貰う。

私はお気に入りのカンゴールフィールドの黒系ファー付きジャケットを着ていたが、暫くして熱くなってきたので身体をくねらせて脱いだ。まだ網棚にはスペースがいっぱいある。
ズボンの右ポケットからメモ用紙を取り出し、鉛筆書きの横長の数字を何度も読み返した。二人席を占領し、気兼ねなく夕刊を広げた。手荷物は足元に置いた小型のショルダーバッグ一つ。
運転手が室内ミラーでちらちらと私を見ている。缶コーヒーを半分ぐらい飲み干したところで、運転手は車外に出て添乗員と話し始めた。
運転手と添乗員が吸った煙草の煙が、澄み切った空気にエキゾチックなシルエットを描いている。
22時20分。後部座席が十席ほど空いた状態で、それ以外は全てスキー客でいっぱいになった。補助席は一切使われていない。
暫くして、十名ばかりの一行がバスに乗ってきた。頭髪の薄いずんぐりとした男が先頭を切って私の方に向かってきた。
「社長、一番奥です。どうぞ」
社長と呼ばれた50過ぎの脂ぎった男が、一番後方の中央シートにドカンと座り、メタボリックな男二人が相撲の太刀持ちのように両脇を固めた。
「社長、何もこんな窮屈なスキーバスで行かなくても――」
正面から見て右隣の、スリックヘアの男が社長に耳打ちした。
「サプライズだ、サプライズ」
社長が腰を落ち着けるまで後方にかぶりを振っていた他の社員も一同に頷いた。
最後にドライバーと添乗員が乗車。添乗員は乗客名簿を運転手に渡してからマイクを握った。
22時30分ジャスト。
――G交通をご利用頂き誠に有難う御座います。最終目的地信州N温泉には明朝の7時20分に到着予定です。途中、二条城、草津駅に停車致します。ご用の節は、お気軽に私までお申し付けください。……では信州N温泉行き特急スキーバス、只今発車致します。
定刻の出発だった。
20分ほどして大阪の中心街を出た。右手に万博公園を見ながら吹田インターに入った。京都の二条城駐車場までは約1時間の道のりである。
スキー客はマナーをわきまえ、仲間同士喋るときも小声で話していた。お菓子の匂いが少々気になったが、気分が悪くなるほどではなかった。
23時を超えた頃、私の二つ前方の席から不快な歯軋りが聞こえてきた。どうやら発信元は茶髪男のようだ。本人はぐっすり眠っていて気付いていない。
私の目の前の二十代前半と思しきカップルが、堪り兼ねて文句を垂れ始めた。
「うるさいわね」と長い髪のキツネ目の女が押さえ気味の声で言うと、隣に座ったスキンヘッドの男が「寝れねえよ、ったく!」と頭を引っかいた。
「聞こえるでしょ、そんな大きな声出したら」
「聞こえるように喋ってんだ、よぉ――!」
夜行バスの車内。ディムライトになってから、早1時間が経過していた。
「酎ハイは?」
「無いわよ、もう。貧乏旅行なんだから」
「チェッ!」
スキンヘッドが居たたまれなくなって、前席のシートを蹴り上げた。
「オイ! オマエだオマエ! 歯軋りがうるせぇんだ、ったく!」
茶髪の男は振り向き様、寝ぼけ眼でスキンヘッドに怒鳴った。
「何じゃい、坊主野郎!」
スキンヘッドが立ち上がった。
「オレにケンカ売るのか? いい度胸だ!――表に出ろ!」
走行中の車内。出られるわけがない。
キツネ目の女は困り果てて「すみません」と頭を下げ、スキンヘッドの袖を引っ張った。
「オマエ、タダでは――」といきり立ったが、「いい加減にしてよ」と女はスキンヘッドの左の頬に思いっきりピンタをくらわせた。
他のスキー客は黙って状況を見守っている。
添乗員が、就寝の時間ですからお静かに願いますと、的の外れた宥め方をした。
決まり悪くなった茶髪の男は、鼻で笑って席に着いた。
「お腹に子供がいるんだから、心配させないで」
スキンヘッドは一転、神妙な顔つきになった。
最後列に陣取る社長一行は黙って動向を見守っていた。後方にかぶりを振った時、社長と私の目が合った。
23時25分。バスは5分早く、二条城の駐車場に到着した。
――15分間のトイレ休憩です。
光の加減なのか、室内ミラーに映る運転手の目が、赤く光ったように見えた。
(つづく)
運転手がジロッと私を見た。
一月十六日、水曜日。新大阪駅南側大型駐車場。腕時計は21時50分を少し回っている。
バスの出発まで三十分以上もあったが、添乗員の許可が下りたので真っ先に乗り込んだ。
私のような気の早い乗客は、気に入らないのだろう。長距離運転前の寛ぎのひと時を邪魔された運転手の眉間に皺がよった。
乗車と共にポマードの匂いがツンと鼻につく。私とは20以上の年齢差があるようだ。
私は無印のグリーンキャップを深々と被り、後ろから四列目、正面から見て右側に座った。予約では通路側の席になっている。
一人旅か、って? まあ、そんなところだ。――今はそれぐらいにして話を続けさせて貰う。

私はお気に入りのカンゴールフィールドの黒系ファー付きジャケットを着ていたが、暫くして熱くなってきたので身体をくねらせて脱いだ。まだ網棚にはスペースがいっぱいある。
ズボンの右ポケットからメモ用紙を取り出し、鉛筆書きの横長の数字を何度も読み返した。二人席を占領し、気兼ねなく夕刊を広げた。手荷物は足元に置いた小型のショルダーバッグ一つ。
運転手が室内ミラーでちらちらと私を見ている。缶コーヒーを半分ぐらい飲み干したところで、運転手は車外に出て添乗員と話し始めた。
運転手と添乗員が吸った煙草の煙が、澄み切った空気にエキゾチックなシルエットを描いている。
22時20分。後部座席が十席ほど空いた状態で、それ以外は全てスキー客でいっぱいになった。補助席は一切使われていない。
暫くして、十名ばかりの一行がバスに乗ってきた。頭髪の薄いずんぐりとした男が先頭を切って私の方に向かってきた。
「社長、一番奥です。どうぞ」
社長と呼ばれた50過ぎの脂ぎった男が、一番後方の中央シートにドカンと座り、メタボリックな男二人が相撲の太刀持ちのように両脇を固めた。
「社長、何もこんな窮屈なスキーバスで行かなくても――」
正面から見て右隣の、スリックヘアの男が社長に耳打ちした。
「サプライズだ、サプライズ」
社長が腰を落ち着けるまで後方にかぶりを振っていた他の社員も一同に頷いた。
最後にドライバーと添乗員が乗車。添乗員は乗客名簿を運転手に渡してからマイクを握った。
22時30分ジャスト。
――G交通をご利用頂き誠に有難う御座います。最終目的地信州N温泉には明朝の7時20分に到着予定です。途中、二条城、草津駅に停車致します。ご用の節は、お気軽に私までお申し付けください。……では信州N温泉行き特急スキーバス、只今発車致します。
定刻の出発だった。
20分ほどして大阪の中心街を出た。右手に万博公園を見ながら吹田インターに入った。京都の二条城駐車場までは約1時間の道のりである。
スキー客はマナーをわきまえ、仲間同士喋るときも小声で話していた。お菓子の匂いが少々気になったが、気分が悪くなるほどではなかった。
23時を超えた頃、私の二つ前方の席から不快な歯軋りが聞こえてきた。どうやら発信元は茶髪男のようだ。本人はぐっすり眠っていて気付いていない。
私の目の前の二十代前半と思しきカップルが、堪り兼ねて文句を垂れ始めた。
「うるさいわね」と長い髪のキツネ目の女が押さえ気味の声で言うと、隣に座ったスキンヘッドの男が「寝れねえよ、ったく!」と頭を引っかいた。
「聞こえるでしょ、そんな大きな声出したら」
「聞こえるように喋ってんだ、よぉ――!」
夜行バスの車内。ディムライトになってから、早1時間が経過していた。
「酎ハイは?」
「無いわよ、もう。貧乏旅行なんだから」
「チェッ!」
スキンヘッドが居たたまれなくなって、前席のシートを蹴り上げた。
「オイ! オマエだオマエ! 歯軋りがうるせぇんだ、ったく!」
茶髪の男は振り向き様、寝ぼけ眼でスキンヘッドに怒鳴った。
「何じゃい、坊主野郎!」
スキンヘッドが立ち上がった。
「オレにケンカ売るのか? いい度胸だ!――表に出ろ!」
走行中の車内。出られるわけがない。
キツネ目の女は困り果てて「すみません」と頭を下げ、スキンヘッドの袖を引っ張った。
「オマエ、タダでは――」といきり立ったが、「いい加減にしてよ」と女はスキンヘッドの左の頬に思いっきりピンタをくらわせた。
他のスキー客は黙って状況を見守っている。
添乗員が、就寝の時間ですからお静かに願いますと、的の外れた宥め方をした。
決まり悪くなった茶髪の男は、鼻で笑って席に着いた。
「お腹に子供がいるんだから、心配させないで」
スキンヘッドは一転、神妙な顔つきになった。
最後列に陣取る社長一行は黙って動向を見守っていた。後方にかぶりを振った時、社長と私の目が合った。
23時25分。バスは5分早く、二条城の駐車場に到着した。
――15分間のトイレ休憩です。
光の加減なのか、室内ミラーに映る運転手の目が、赤く光ったように見えた。
(つづく)

