"Frank Yoshida"のミステリー小説。あなたはもう逃げられない。

短篇ミステリー「ラスト」〜2〜
 2

 茶髪の男が足早にバスを降りた。後部座席のスキンヘッドに向かって、鼻を鳴らしたように見えた。
 挑発的とまではいかないまでも、スキンヘッドが見たらまた小競り合いになると私は思った。
 私はスキンヘッドのカップルに続いて降りた。
運転席と添乗員が座る補助席の間のダッシュボードに、緑地に白文字のネームプレートがくっきりと浮かんでいた。
――運転手 倉地二三男。
 車外に出たスキー客はほぼ全員、一列になってサービスエリアのトイレに向かった。
 私の三メートル前方、スキンヘッドのカップルが歩いている。
「あの野郎、ぶちのめしてやる」
 厳つい歩き方をしながらスキンヘッドが虚勢を張った。
「やめてよ、こんなところで」
「こんなところも、そんなところもあるか」
「ここで喧嘩したら、私、帰るからね」
「好きにしろ」
 私はカップルに目を遣りながら、後方から近づいてくる社長一行に耳を傾けた。
「社長。こいつ、COOに昇格させて下さい」
「最高執行責任者のポストは、まだ早いだろう」
「チーフ・オペレーティング・オフィーサーじゃなくて、チーフ・オシッコ・オフィーサー、最高オシッコ責任者ですよ。こいつトイレが近いんです」
 社長の頬に苦笑がよぎった。
 一行はそのままトイレに入った。
 私自身商社を辞めて早六年になるが、今でも昇進の言葉に敏感に反応した。組織の一員で働いていた頃が懐かしい。
 運転手はバスから降りると携帯を取り出し、道路わきのあずまやで誰かと話しをし始めた。
 再度のトラブルを恐れたキツネ目の女はサービスエリアの男子トイレの前まで来て、スキンヘッドに念を押した。
「いい? 揉め事はイヤよ!」
「カリカリすんな」
「カリカリさせてんのは、アンタでしょ!」
 冷たい風が二人の間を吹きぬけた。
 先に用を足した茶髪の男がトイレから出てきた。
 面を切る茶髪。スキンヘッドが鬼のような顔で応酬する。
「何だ、そのツラは。オレにケンカ売るのか?」
「黙っとれ、ワレ!」
 茶髪がドスの効いた声で応酬した。
 スキンヘッドが素早く茶髪の胸倉を掴んだ。
 全く強張らない茶髪の顔に、スキンヘッドは一層苛立ちを覚えた。
 我慢の限界である。
 スキンヘッドの右手が力強い拳を作った。
 その瞬間――。
「警察を呼んで!」
 キツネ目の女が売店に向かって走り出した。
「ほら、どうする、坊ちゃん。――どーなんだよ!」
 スキンヘッドの頬がピクピクと痙攣している。
 茶髪もスキンヘッドも背丈は170センチ強とほぼ同じ。厳つさではスキンヘッドが勝っていたが、茶髪は喧嘩慣れしているのか、いやに落ち着いている。
「この野郎!」
「止めとけ、オレには勝てねぇよ」
 売店前でキツネ目の女が立ち止まった。
「もう、勝手にしたら!」
 胸倉を掴んだスキンヘッドの左手から、急に力が抜けて行った。
「彼女の方が、よっぽど大人だぜ」
「ちぇっ、弱虫野郎の言うセリフだ」
 気まずさを取り繕うように、スキンヘッドが自分の腕を払った。
「勝てる喧嘩は、することないか」
 スキンヘッドは捨て台詞を言ってトイレに入った。

 トイレから出ると、雪のつぶてが正面から襲ってきた。
 体感温度が一気に下がり、先程の重役連中が足早にバスに戻る。
 社長本人はサービスエリア内の休憩室に向かい、私も後を追った。
 社長は自らストーブの上の薬缶を取り上げ、備え付けのプラスチック製の湯飲み茶碗に熱いお茶を注いだ。私はテーブルを挟んで斜交いに座り言葉を待った。
 二度お茶を啜った社長が、掛け時計を見ながら呟いた。
「どうだった?」
 私は上目遣いで答えた。
「怪しいメモがありました」
「それで?」
「バスごとやっちまうようだ」
 背中の中心を冷気が吹き上がったように、社長の身体がビクッとした。
「じゃぁ、奴を捕まえろ」
「まだ早い。ゲロを吐かせないと」
 バスの出発まで五分と迫っている。
「みんな死んじまうぞ。――警察に電話する」
「状況証拠も無い状態で、笑い者になるだけだ。あと二時間は大丈夫。奴の狙いは――」
 核心に迫ったところで、重役の声が二人の会話を遮った。
「社長。乗り遅れますよ!」
 怪しんでいる様子はない。
「おう。もうそんな時間か」
「こんな安もんのお茶、社長が飲むもんじゃないですよ」
 男は湯飲み茶碗を片付け、社長の背中を押した。
 私は声に出来ないメッセージを、社長の背中にぶつけた。
――油断と慢心が事故の元になる、と。

(つづく)