「ハグル」
筆名 Frank Yoshida
プロローグ
「もう、来られましたか」
正面玄関の守衛から、自分宛の来客との連絡を受け取った利根岡は、休憩室まで珍客を案内するよう、電話越しに応答した。
研究発表のレポートを書いていた右手が、いつの間にか震えている。驚きか緊張感なのか、複雑な心境のまま、身体中に電気が走った。
地元大阪の国立大学でマスターを取得した後、伊丹市にある大手家電メーカーのM電気に入社。利根岡が所属する総合研究所は、マスターやドクターの学位を持つエリート集団が毎日コツコツと研究に励む、一種独特の世界である。仕事に違和感は無かったが、ここ数ヶ月ひきこもり状態になっている自分に、少し嫌気が差していた。
自分専用のコンピューターの電源を落とし、同じ建物の二階にある来客専用の休憩室に向かった。普通の足取りならば五分で着ける場所であるが、懐かしさがそうさせるのか、利根岡の歩調は勢いを増していた。
いつもなら居残りの社員が吸う煙草で煙だらけの休憩室。この日は社員早帰りの水曜日とあって、午後九時を回った工場は、驚くばかりに静まり返っていた。
横一列に五つ並んだ自販機の上の蛍光灯がポツンと点っているだけで、守衛の姿は、まだ見えなかった。
――トイレにでも寄っているのかな。
利根岡は温かみの無いスチールの長いすに腰掛けた。
五分経ったが、人の気配が無い。
十分が経った。……背筋が寒くなる。
暫らくして、鉄製のバールが鋭く地面に落ちる音が聞こえた。場所は一階の玄関辺りである。
「誰か、そこに――」と言いかけて、利根岡は勇み足で金属音が聞こえた玄関に向かった。
自分の足音だけが、コツコツと廊下に響く。
眼の前に正面玄関が現れた。が、守衛の姿が無い。――そして来客の姿も。
受付にみたてたスチール製の机に、利根岡は恐る恐る近づいた。
見回りがいつも座っている椅子の背後に赤い大きな血痕が、一つ……そして二つ。
背後で人影を感じたその瞬間――。利根岡は鈍い大きな音と共に、廊下に倒れた。
頭脳に集積された画像が全てシャットダウンするように、眼前から全てが消え去った。
全てが……。
(つづく)
筆名 Frank Yoshida
プロローグ
「もう、来られましたか」
正面玄関の守衛から、自分宛の来客との連絡を受け取った利根岡は、休憩室まで珍客を案内するよう、電話越しに応答した。
研究発表のレポートを書いていた右手が、いつの間にか震えている。驚きか緊張感なのか、複雑な心境のまま、身体中に電気が走った。
地元大阪の国立大学でマスターを取得した後、伊丹市にある大手家電メーカーのM電気に入社。利根岡が所属する総合研究所は、マスターやドクターの学位を持つエリート集団が毎日コツコツと研究に励む、一種独特の世界である。仕事に違和感は無かったが、ここ数ヶ月ひきこもり状態になっている自分に、少し嫌気が差していた。
自分専用のコンピューターの電源を落とし、同じ建物の二階にある来客専用の休憩室に向かった。普通の足取りならば五分で着ける場所であるが、懐かしさがそうさせるのか、利根岡の歩調は勢いを増していた。
いつもなら居残りの社員が吸う煙草で煙だらけの休憩室。この日は社員早帰りの水曜日とあって、午後九時を回った工場は、驚くばかりに静まり返っていた。
横一列に五つ並んだ自販機の上の蛍光灯がポツンと点っているだけで、守衛の姿は、まだ見えなかった。
――トイレにでも寄っているのかな。
利根岡は温かみの無いスチールの長いすに腰掛けた。
五分経ったが、人の気配が無い。
十分が経った。……背筋が寒くなる。
暫らくして、鉄製のバールが鋭く地面に落ちる音が聞こえた。場所は一階の玄関辺りである。
「誰か、そこに――」と言いかけて、利根岡は勇み足で金属音が聞こえた玄関に向かった。
自分の足音だけが、コツコツと廊下に響く。
眼の前に正面玄関が現れた。が、守衛の姿が無い。――そして来客の姿も。
受付にみたてたスチール製の机に、利根岡は恐る恐る近づいた。
見回りがいつも座っている椅子の背後に赤い大きな血痕が、一つ……そして二つ。
背後で人影を感じたその瞬間――。利根岡は鈍い大きな音と共に、廊下に倒れた。
頭脳に集積された画像が全てシャットダウンするように、眼前から全てが消え去った。
全てが……。
(つづく)

